ジャック・ロンドンの短編小説集「火を熾す」を読んだ

 ジャック・ロンドンの短編小説集「火を熾す」(柴田元幸訳・スイッチパブリッシング)を読んだ。ジャック・ロンドンは、1900年代初頭に活躍したアメリカの作家である。と、訳知り顔で紹介してみたが実は今回初めて彼の作品を読んだ。すこぶるおもしろい。

 本のタイトルにもなっている「火を熾す」は、華氏-50度(摂氏で約-45度くらい)の世界でのお話。「ユーコン川」が出てくるので、舞台はどうやらアラスカのようだ。オーロラが出るような極寒の地である。ある男が仲間と合流するために、悪天候のなか徒歩で単独行を試みる物語。

 「火を熾す」に似ているストーリーがもう一つある。「生への執着」だ。こちらは、コパーマイン川が出てくるので、カナダ北部の極寒の地を舞台にしている。やはり、男が単独行をする話だ。

 厳しい環境のなか、移動生活を続ける民族の話もある。この集団のリーダーの父親は、老衰でもはや移動困難な体になっている。父親は次の移動がかなわず、一人置き去りにされてしまう。そんな老人の最後を描いた「生の掟」。革命のための資金をどこからか調達してくる謎の若者の話「メキシコ人」。ベテランボクサー、トム・キングの晩年の試合を描いた「一枚のステーキ」。

 どの物語からも強い「生」を感じる。逆境に見舞われても最後まで諦めることなくいかに生きるか、「生」に懸命にしがみつく様子が胸を打つ。なかには「あなたの安易な行動が招いた状況なのでは?」とツッコミたくなるシチュエーションもあるにはあるのだが。それもまた人間臭くて良い。

 九州に住む私は極寒の体験がなく、せいぜい由布岳を積雪の冬に登山したとき、鼻水をすすることができずに、シュッと地面に落ちてしまう現象に驚いたことがある程度だ。本当に寒いところでは、それは落ちるのではなく、凍ってしまうのだろうと思う。ただ、山頂で写真を撮るとき、カメラのシャッターが押しにくかったので手袋を取ったのだけど、それ以後は手袋をしてもなかなか手に暖かさが戻ることはなかった。寒い自然のなかでは簡単に手袋は取ってはならないのだと学んだ。

 屋久島の宮之浦岳(一応、九州では最高峰)を登ったときは、白谷雲水峡から縄文杉などを経由しながら一泊二日のルートで計画したのだが、食料や飲み物の見積もりが甘くて空腹に見舞われ、初めて「ガス欠」っぽいことを経験した。体が動かないのだ。幸運だったのは、屋久島は自然の水が飲み放題。天然の水をがぶがぶ飲んで、なんとかしのいだ。道中考えていたのは、カレーライスのことばかり。頭のなかはカレーライスでいっぱいになった。人間、究極にお腹がすくとカレーライスのことを考えるのだ(あくまで個人の経験です)。下山後、最初に口にしたのはコカ・コーラであった。そのあと、結局、カレーライスではなく、うどんを食べた。

 私にはそんなくらいの経験しかないのだが、「火を熾す」に出てくる主人公たちは、それよりももっと過酷な環境で(私が経験した環境くらいではそもそも物語にならないので当たり前だけど)必死に「生」にしがみつく。主人公はみな、生の営み(=労働)のために過酷な環境に身を置いているので、1920年頃に流行したといわれるプロレタリア文学に近いようにも思う。「火を熾す」は、ちょうどその先駆けのような感じなのかもしれない。

 さて、写真は、長崎の海の玄関口「長崎港ターミナルビル」。通称「ビッグ・ビット」と呼ばれるこの建物は、1995年に建築家の高松伸氏の設計によって建てられたものだ。主に五島列島へのフェリーやジェットフォイルなどを利用するためのターミナルビルだ。

 平成以後は、この「ビッグ・ビット」のような近未来をイメージしたような建物が極端に少なくなった。スペースエイジ・デザインは、大阪万博の影響で1970年代にはよく見られたデザインのようだが、この「ビッグ・ビット」の外観はスペースエイジにも見える。そもそも、このごろはR(曲線)をふんだんに使った建築物が減った。きっと直線のほうがコストがかからないからだ。「ビッグ・ビット」は曲線もふんだんに使わている。この建物の近隣にある長崎県庁は、2018年に完成したばかりの新しい建物。モダンで格好いい設計だが、やはり直線的な印象だ。

 そんな「ビッグ・ビット」は現在、築28年。建築物としてはそれほど古くない部類に入るとは思うが、最近は修繕して長く使うよりも、スクラップ・アンド・ビルドが簡単に行われてしまう世の中。できるだけ長くここに建っていてほしいと切に願う。

 ところで、いちばん上の写真には、ベンチに座っている男性が写っている。大股を開いて座っているその佇まいからは、昭和のにおいが漂う。昭和風な建物のデザインにとてもマッチしていると思うのだが、いかがだろうか。

 2023年9月某日撮影

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