大ヒット映画「ジョーカー」の続編、「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を観た
米アカデミー賞をはじめ、各国の映画祭で絶賛された大ヒット映画「ジョーカー」の続編、「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を観た。「フォリ・ア・ドゥ」はフランス語で「二人狂い」という意味だそうだ。レディー・ガガが出演しているのも影響しているのか、歌の多い、ミュージカル風な映画だった。実は私はミュージカルがちょっと苦手なのだ。
音楽を聴くとき、多くの人は歌詞を聴いていて、人が「あの曲はいい」という場合、たいてい歌詞のことを指しているようだ。私はメロディーを聴いているので、その曲がどういうことを歌っているのか、わかっていないことが多い。ミュージカルの場合、歌詞に想いを乗せて歌い、いまの感情を観客に伝えようとするけれど、私は肝心の歌詞を聴いていないので(字幕も読まない)、伝わってこないのだ。
今回、私はまたしても事前に内容を確認せずに映画を観てしまったのだけど、ひとまず本作は「ジョーカー」の続編ということは間違いない。けれど、どうやら本家の「バットマン」とはつなげて考えてはいけないようなのだ。そうでないと、あのラストにはきっと誰もが驚く(さらに続編があるような終わり方だったが、監督や俳優は「これで完結だ」と言っている)。
ラストのシーンで、無理やり「バットマン」につなげようとしている演出もあるにはあるけれど、だとしたら、「バットマン」に登場するジョーカーと、「ジョーカー」に出てくるジョーカーは別人ということになり、あのジョーカーだと思って観ていたのに・・・とがっかりする(ジョーカーの師匠の物語?)。あるいは、私のようにさらなる続編に期待するしかなくなるのだ。
しかし、「ジョーカー」と「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」がその後の「バットマン」につながることをいったん忘れてしまえば、物語がだんぜんおもしろくなる。ひとりの善良なピエロが、心ない周囲の悪意によって「ジョーカー」という悪に変貌し、人を殺め、逮捕され、そして続編では愛に目覚める。もしかすると「バットマン」を知らない人のほうが「ジョーカー」を楽しめるのかもしれない。それほど、DCっぽくない映画なのだ。
写真は、GFX100でスナップ撮影した、とある解体現場。私はスケルトンの現場が好きだ。柱や梁を解体する直前の、壁や床がなんにもない状態。ここはすでに解体されすぎていてスケルトンとは呼べる感じではないけれど。
2024年9月某日撮影