感覚が近い人と一緒に仕事をすることは大事なこと

 最近、会話をしていて、こちらが伝えたいことが伝わりやすい相手がいることを「意識」するようになった。そういう相手のときは、向こうが言っていることにも共感できて思わず前のめりになって聞いてしまうこともある。だから、話が盛り上がる。

 その逆に、伝えたいことがぜんぜん伝わらないときや相手の話がぜんぜん入ってこないこともある。以前だと、どうして伝わらないのだろう、と不満に思うこともあった。とにかくわかりやすくする努力がこちら側に必要だと、つまり、伝わらないのは説明が下手なのだと思っていた。思っていた、とあえて過去形にしたのは、そういう努力を諦めたほうが良いのではないかと思うようになったからだ。ネガティブに聞こえるかもしれないが、決してそうではない。

 これは、頭が良いとか、悪いとか、そういった優劣の問題ではない。たしかに相手の学習レベルが高いと、こちらが稚拙な説明をしたとしても、つまりこういうことなんじゃないかと私のレベルに合わせて察してくれる確率は高い(楽をしたい私は、だから自分より頭の良い人が好きだ)。けれど、話が伝わりやすい、というのは、たぶん、環境や立場や相性の要素が強い。

 同じ環境でずっと過ごしていると、自然に言葉が通じやすくなる。これは、必ずしも同じ場所にいたり、同じ組織やグループに属していたりする必要はない。似たような環境は世の中にたくさんあって、わりと似通っている。似たような環境の人なら、はじめて会って話す相手であっても、何の言葉の努力もなく、短い言葉ですっと伝わる相手が存在する。言葉さえいらないときもある。

 そういう人と一緒に仕事すると、こちらも相手も良い結果を出しやすい。「できた」と思う完成形の感性が近いからだ。技術的なレベルはまちまちでも、少なくとも「こんな感じ」というのは共有できる。いくらレベルが高くても、ここが遠すぎると致命的に良くない。だから「感覚が近い人と一緒に仕事をする」というのは大事なことだと最近になって思うようになったのだ。

 何度も言うようだが、仕事ができるとか、できないとか、技術が高いとか、低いとか、センスがあるとか、ないとか、そういうことではけっしてない。

 たとえば、子どものころに友だちを選んだ基準として、あの子は頭が良いから、だとか、あの子は足が速いから、だとか、そういう物差しで相手を選んでいなかったことと同じだ。一緒にいて楽しい人を無意識に選んでいたに違いない。子どもには子どもの事情があってそれができなかった子もいるだろう。大人も大人の事情でなかなかできない。でも、そういうことを「意識」することは誰にでもできると思うのだ。そして「意識」は、いつか現実(リアル)になる。

 さて、写真は、長崎市できたばかりのアミュプラザ長崎新館。クリスマスのイルミネーションが装飾されている時期に撮った。まだ外構が工事中でショベルカーなどが写り込んでいる。長崎駅周辺は以前とは見違えた。

 2023年12月某日撮影

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