相手の行動に疑問を抱いたとき、相手にはそうすることの理由が必ずある

 最近、「なぜ?」を肯定的に考えようと努めている。誰だって相手に対して「こうしたらいいのに」と、つい言ってしまうことはよくある。そんなふうに当事者を前に言ってしまうならまだいい。当事者がいない場所で、「なぜ、こうしないのだろうか」と言ってしまうのは最悪だ。なぜなら、そうせざるを得ない事情があるかもしれないからだ。あるいは、他人から見ると非効率な方法であっても、あえて手間をかけることで物事を良くしている可能性だってあるかもしれないのに、それを聞くこともなく勝手に自己解釈して終わってしまう。

 「なぜ、こうしないのか」という「なぜ?」は、最初から相手を否定しているようにも見える。「なぜ?」という人は、「なぜ?」をきちんと考えていないことが多い(たぶん)。実際に「なぜ?」という人に、「どうしてだと思う?」と尋ねると、大方「わからない」とか「さぁ?理解できない」と返ってくる。「なぜ?」と否定的に捉えることで思考が停止してしまうのだ(自分が正しいという思い込みでいっぱいになる)。「あの人がすることだから、何か理由があるに違いない」と肯定的に捉えることで、ようやく「なぜ?」を自分で考えることができるようになる。そして、そうしたほうが自分の成長につながる。

 これは、あるWEBマーケティングの現場で気づかされたことだ。素人からの「こうしたほうがいい」とか、「なぜこうしないのか」という問いに、プロがデータを参照しながら論理的に答えていた。ぐうの音も出ないとはまさにこういう状況をいうのだろう。それほど答えは完璧だった。それを目の当たりにして、「なぜ?」と思うことの裏には必ず理由がある、という姿勢でいようと思った。

 さて、写真は前回に引き続き、長崎県東彼杵郡川棚町にある魚雷発射試験場の監視望楼跡。これはその2階部分の写真だ。機材を持って、心もとない梯子で登るのは少し怖い。撮影のとき、立ったままファインダーを覗くのも怖い。

 2023年12月某日撮影

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