高くてもどうしようもなく買ってしまう、本の「愛蔵版」

太陽の塔

 前回、普段は音楽を買わないのに、レコードやカセットテープだと買ってしまうという、購入意欲をかきたてるモノ化について書いた(→前回の記事)。今日は、本の「愛蔵版」について書いてみようと思う。

 私の場合、本は音楽と違って媒体がなんであろうと(紙でも電子でも)、読みたいものは積極的に買う。あえてどちらかといえば紙の本を好んで買っている。小説の場合、いま物語のどのへんか、というのが紙だと直感でわかる。電子でもそれはわかるようになっているけれど、たとえば、時計はデジタルよりアナログのほうが残り時間が直感でわかるのと同じように、本も紙のほうがクライマックスへ近づいているのが指に伝わってくる。

 サイズにもそれほどこだわりはない。単行本でも文庫でも新書でもなんでも買う。シリーズ本はできるだけ同じ大きさの本で統一したい気持ちはあるけれど、サイズ統一のためにわざわざ買い直すことはもちろんしない。持ち運びがしやすく、寝転んで読むときに軽くて持ち上げやすい文庫版が便利だとは思っているけれど、読みたい本が文庫化されるまで待つこともない。

 ただ唯一、頭を悩ませるのは、愛蔵版の存在だ。アンリアレイジの森永氏が藤子・F・不二雄の異色短編集が好きらしいというのは、前にも書いた。その影響で私も買って読みたいと思ったのだけど、ネットで検索していたら、タイミングの悪い(?)ことに、異色短編集は「藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス」として再編集されたものが新しく発売されており、通常版のほかに、愛蔵版もあることを知ってしまった。愛蔵版はとても豪華な装丁で、値段も通常版の4倍以上。マンガ好きというわけでもなければ、藤子・F・不二雄の特別なファンでもない私に本当にこれが必要か? と悩んでしまった。けれど、レコードのときと同じように、私はなにしろモノに弱い。

 とりあえず一冊だけ、と自分に言い聞かせて、第1巻を購入した。これは、いい。さすがにこだわってつくられたものだけのことはある。サイズが大きくて、180度フラットに開くコデックス装。表紙には金属プレートまでついている。元々の原稿は、当時の雑誌に掲載されることを想定して描かれているので、本来は雑誌と同じサイズで読むのが良いらしい。愛蔵版はその雑誌の大きさでつくられているのだ。肝心の中身はというと、私にとって、藤子・F・不二雄のイメージはなんといってもドラえもんなんだけど、「SF短編コンプリート・ワークス」は少年向けのSF(サイエンス・フィクション)ではなく、青年や大人向けのSF(少し・不思議)になっていて、なかには怖いサスペンスもあってとてもおもしろい。

 というわけで、私はまんまと現在発売されている1~8巻をすべて購入(散財)した。全10巻で残りの2巻は2月以降に発売予定だ。もうここまできたら、もちろん残りも買う。余談だが、さすがに買わないと思うけど、新潮社からは、昨年2023年に出版された村上春樹氏の小説「街とその不確かな壁」の愛蔵版(300部限定、シリアル番号&サイン付き)の発売も予定されている。なんと、一冊10万円だ。でもきっと、あっという間に完売するんだろうな。

 本の愛蔵版は、レコードやカセットテープと同じように、収録されている中身は通常版となんら変わらない。ただ「読む」という目的を果たすだけなら通常版で事足りる。実際に愛蔵版を買った私にしても、本の内容に満足したのか、モノとして満足したのか実はよくわからない。モノを持たず、経験に金を使う人なら決して愛蔵版には手を出さないだろう。

 しかし、私のようなモノ好き人間やファンは別だ。今回の「SF短編コンプリート・ワークス」の愛蔵版からは、企画者の作品に対する愛、ファンに対する愛を感じる。結果として売れるものは、元々商業的な発想で企画されたものではなく、世の中に良いものを届けたい、素晴らしい作品を次の世代に残したい、という強い気持ちから生まれるものなのかもしれない。

 さて、写真は、大阪府吹田市の万博記念公園のなかに建つ、太陽の塔。いちばん下の写真は塔の裏側。言わずと知れた、1970年の大阪万博で岡本太郎氏によって制作されたものだ。いよいよ来年2025年は、新しい大阪万博が開催される。いろいろ賛否あるようだが、私は結構楽しみにしている。

 2023年11月某日撮影

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