2024年の芥川賞を受賞した「東京都同情塔」を読んだ
芥川賞を受賞した、九段理江氏の「東京都同情塔」を読んだ。ストーリーやテーマに惹かれたのではなく、単純に表紙が気に入って購入した。パケ買いだ。表紙には、フォトグラファーであり、レタッチャーでもある安藤瑠美氏の「TOKYO NUDO」の作品が使われている。偶然にも私は写真集「TOKYO NUDO」を買ったばかりだったのだ。
「TOKYO NUDO」は無人の東京の風景(建築物)を撮ったもので、すごいのは、そこからさらに看板や窓などのノイズがレタッチによって徹底的に除去されているところ。まるで絵画のような、アニメーションの背景画のような、あるいは手抜きのCADのような、装飾が一切ない建築物の重なり。まさにヌードの東京といったところだ。
「東京都同情塔」の中身はというと、まず登場人物はとても少なく、主人公の建築家の女性とその「連れ」の年下男性がメインで、そのほかにあとふたりくらいしか出てこない。舞台となる場所が転々と変わることもない。ずっと新宿だ。その意味ではとても読みやすい。けれど、私にはちょっと難しかった。
「東京都同情塔」という建物を建築家が設計する話なのだが、この建物の正式名称は「シンパシータワートウキョー」。シンパシー(同情)という名前の建物なのだけど、この建物に入居するのは罪を犯した人々なのだ。「シンパシータワートウキョー」はつまり刑務所。受刑者が快適に暮らすためのタワーだ。受刑者に同情? その是非を問うストーリー。
そして「社会をゆがめている言葉」について、AIにたびたび語りかけてはその回答(言葉)への違和感が主人公を通じて語られている。本文には実際のAIの文章も用いられているという。読みながら最初はそのやりとりが正直ちょっと面倒臭いな、と思ってしまうのだけれど、読み進めていくうちに薄れていく(それを楽しめるようになる)。読み始めは、小説を読んでいるというより、なんだかビジネス書を読んでいる感覚に近かった。
さて、写真は、長崎市にある日新ビル。長崎のヴィンテージビルといえば、まずはこの建物の名前が最初に挙がるのではないだろうか。
2023年10月某日撮影