自分の無関心が恥ずかしかったので、感受性を高めたいと思った件
今日は、自分の無関心がはずかしいと思った話。春一番の強風が吹き荒れる日、電停で路面電車を待っていると、いきなり強烈な突風が吹いて、黄色い物体がすごい勢いで吹っ飛んでいった。数メートル先の線路の真ん中で止まったその物体はそれから動かなくなった。電停の整備工事に使われていた安全標識の土台のように見えた。マンホールに似た形の、丸くて重そうなプラスチック製のものだ。
電車を待っていたのは、私を含め8名くらい。私はそのちょうど真ん中くらいにいた。全員(たぶん)がその黄色い物体を認識していながら、そのまま放置していた。線路の真ん中で止まっていたので、もしかすると電車の通行に支障が出るかもしれないし、次にまた飛ばされたら、今度は車道にまで出てしまって危ない。けれど、私はそんなことにも気がつかなかった。「黄色い物体が吹っ飛ぶほどの強風が吹いた。すごい風だった」。認識したのはただそれだけだ。周囲の人たちはどう思ったのかわからない。確かなことは、誰も動かなかったことだ。
すると、私の隣にいたカップルが中国語(たぶん)でなにやら話している。そして、男性がダッシュでその黄色い物体を回収し、飛ばなさそうなところに避難させた。そこでようやく、ああ、放っておいたらダメだよな、と気がついた(これ、本当に)。そして、中国からの、おそらく旅行者だろうと思われる若いカップルに回収させてしまった恥ずかしさが込み上げてきた。男性は作業を終えて、私の前を通って元いた場所に帰っていった。前を通ったときに「ありがとう」と伝えたかったけれど、それもできなかった。
放っておいたら危ない、と感じたけれど、なんらかの理由(親切な行動がなんだか照れくさいとか、気恥ずかしいとか、はたまた面倒くさいとか)で放っておいたのなら、まだいい(もちろん良くはないけれど)。問題は、まったくなんとも思わなかったことだ。無関心もここまでくると、もしかして感受性が弱っているのか、なんて心配になってくる。有事にはもちろんだが、普段から社会的な行動がとれるように、日ごろから意識しておきたいと思った出来事だった。
さて、写真は前回に引き続き、長崎県の池島。「8階建てアパート」の裏手(南側)にあるアパート群。高台になっているので、南側の海が見えるところもあった(一番上の写真)。
2023年12月某日撮影