ミヒャエル・エンデの小説「モモ」を読んで、せかせかしない生活をしたいと思った

 ミヒャエル・エンデの小説「モモ」を読んだ。児童書をなぜ今更、と自分でも思うけれど、書店で「愛蔵版 モモ」を見かけて、表装の美しさに思わず衝動買いしてしまったのだ。そんな物欲的な出会いではあったけれど、読んでよかったと思う。いまの時代だからこそ大人が読むべき物語だと思った。

 主人公のモモは、孤児。家がない。公園に住み着いて、食べ物は周囲の人が持ってきてくれる。モモはみんなの人気者なので生活に困ることはない。人気の秘密は、モモが人の話を傾聴する特技を持っているからだ。相手にしてみれば、自分の話をよく聴いてくれるので、一緒にいるだけでどこか癒されたり、話しながら問題が自己解決したりする。ある種、名カウンセラーのような役割を果たしているのだ。

 ここが本書の学びの第一だ。人の話を聴くこと。実際にはこれがなかなかできない。相手の話が終わっていないのに、勝手に話し返したり、途中まで聴いてすべてわかったようにして求められてもいないのに自分の意見を述べたり。人はとにかく他人の話を聴かない。話が聴けるようになると、これほどの人気者になれるのである。

 本書は主人公のモモが謎の「灰色の男たち」と戦う物語だ。灰色の男とは、大人の人間を巧みにだまし、時間を節約させて、余った時間を「時間銀行」に貯金させる。そして、そこにたまった時間を使って生きている、時間泥棒なのである。灰色の男は人間ではない。人間のような形をして、人間のようにしゃべるけれど、実体のないゴーストのような存在。

 だまされた大人の人間は、時間を節約するために、ものすごくせかせかと生きている。人間らしさを失って生活がギスギスしている。現代でいうと、たとえば、エスカレーターの片側を寸暇を惜しんでダッシュすることであるとか、仕事でいえば過度な「効率化」であるとか、読みながら、そういう情景を思い浮かべてしまった。

 本文にはこう書いてある。「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです」。

 これが第二の学び。大人になると、時間を節約することを覚えるのだけれど、一方で、節約した時間の使い道がわからない。現代だと、せっかく節約した時間はスマートフォンに消費される。子どもの頃は10分あれば、10分でできる遊びを発明して時間を楽しむことができた。子どもの頃の一日はとても長く感じていたように思うのだけど、大人になってからの一日は本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。子どもの頃は時間を節約しようなんて思ってなかったから、生活が豊かだったのかもしれない。

 そんな「モモ」の絵本版が来月発売されるようだ(→絵本版モモ)。もしかすると、また衝動買いしてしまうかもしれない。

 写真は、GFX100でテスト撮影した長崎原爆病院。ちょうど太陽に雲がかかってしまって、建物が日陰になってしまった。時間の都合で陽が当たるまで待てなかった。奥の方(写真左側)には陽が差しているので、発色がいい。建物は少し残念だが(機材のせいではない)、川の水面、特に写真右側あたりの描写は流石のGFXといってもいいかもしれない。買い直したマウントアダプターが届き次第、またテスト撮影をしてみようと思う。

 2024年9月某日撮影

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